当たり前のように訪れる日が大切だと気付かされる
今年は春の訪れが早い。
例年はお彼岸を過ぎて咲きだす桜が、3月中旬くらいから蠢き出しているようだ。
あと数日すると天気が崩れてしまうとのことで、少し早いがたまたま仕事が休みだった家内と家内のご両親と一緒に近くの公園へ花見へ繰り出すことにした。
思ったよりも桜が咲いている。
三部咲き、陽がよく当たる場所は七部咲きといったところか。
天気も良く、来る前は少し面倒だなと思ったけど重い腰を上げてきてみてよかった。
子供の頃、桜は卒業式と入学式を彩る飾りのようなものと漠然と感じていた。
大学に入り東京の武蔵野に住んでいたが、大学までの通学路に桜並木があった。満開の桜が咲き乱れる中、大学までの道のりを闊歩するとこれからの自分の人生を讃えてくれているようで、なんとなく誇らしかった。
社会人になるとしばらくは桜が目に入らなくなっていた。
仕事やプライベートが意味もなく慌ただしく過ぎ、移りゆく季節は自身の生活の歯車に噛み合うこともなかった。
そんなわたしが季節を取り戻したのはいつのことだろう。
子供が保育園に通い出して、いくつかの季節行事の中で卒園式や入園式に父兄として参加し始めた頃だったと思う。
園庭の桜や少しずつ大きくなっていく子供達を眺めながら、鮮やかに咲き誇る桜に目を奪われて、どこかに置き忘れていた心を取り戻したような気がした。
少しず年を重ねて、家内とわたしの両親ともにイヤでも老いを感じるようになる。
わたし自身も大きな病気を患ってしまった。
だからこそ思う。
来年もまた皆で同じように桜が見れればよいな・・・と。
人混みや騒がしいのは苦手だな。だから家から近いこの公園でのんびりと歩きながら見るこの桜や景色を大事にしていきたい。
(おわり)
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