日本の金(ゴールド)とジュエリーについて
黄金の国、ジパング?
日本の国内において、金(ゴールド)の存在がはじめて発見されたのは、奈良時代の西暦749年といわれています。
陸奥の国(現在の宮城県)でのことだったそうです。
日本史が好きな方であれば、「金印」がもっと昔の弥生時代からあったんじゃないの?と思うかもしれませんが、金印は日本で作られたものではなく、漢(古代中国)で作られたものといわれています。
それから長い間、金(ゴールド)は東北地方からしか得られない時代が続きます。
平安時代には、貴族が金(ゴールド)製品を贈与するなどして、政治的な影響力を表現したり、政権を維持したりするために使用されていたといわれています。
鎌倉時代に入るころ、覇権争いに負けた朝廷は陸奥以外の各地に使いを送り、全国の金(ゴールド)ルートを探し始めました。結果として佐渡や壱岐・対馬で金の採掘が行われるようになりました。
当時の権力者たちは金(ゴールド)の美しさや金属としての安定性に価値を見出していたわけではなく、中国を中心とした貿易相手国に売って銅銭を得るためだったそうです。
当時の日本は金そのものに価値を見出していなかったようですね。
そして時代は流れ安土桃山時代に入る頃、日本でも各地で金山や銀山での採掘が増え、小判や大判といった形で金(ゴールド)の流通が本格的に始まりました。
装飾品としての使用
現代であれば、金(ゴールド)を用いたジュエリー・アクセサリーといえば指輪が一番メジャーだと思いますが、日本の歴史に根付くにはしばらく時代がかかったようです。
古代において、日本でもネックレスや腕輪などの装飾品がありました。
しかし発掘されるものの中に、指輪と呼べるものはゼロではないものの、かなり少なかったようです。それは当時、狩猟や農耕で生活していたた日本では、生活の邪魔になったためだともいわれています。
そういった時代背景の中、日本で金(ゴールド)や銀を使用した指輪をはじめとしたジュエリーが作られたのは、明治に入った1870年代からといわれています。
特に着物との相性も良く控えめな装飾具である指輪は日本人の好みにあったらしく、急速に広まりました。
また、時代を同じくして廃刀令によって職を失った刀鍛冶たちが、この分野に進出したこともこの時代に貴金属を用いた装飾具が普及した一因といわれています。
金融活動への影響
時代は遡りますが、江戸時代には金(ゴールド)や銀を使った金融活動が行われるようになりました。
しばらくは金(ゴールド)そのものを加工した金貨(大判・小判)の形態で現代の通貨に近いかたちで運用していました。
しかし金貨は使用とともに減損し、重量もあって運搬や管理面での問題もあるため、金貨に変わる代替通貨での運用が求められます。
そういった時代背景と国際化に対応するため、1871年(明治4年)に金本位制に移行した「新貨条例」を制定し、通貨単位「円」を確立しました。この時、金の準備が不十分だったため、膨大が銀が代わりに蓄えられたそうです。
なので、人によってはこの時代の金本位制を「日本の銀本位制」と揶揄する人もいるくらいです。
こうやって歴史を紐解いていくと「黄金の国ジパング」は幻想だったことがよくわかります。
(おしまい)
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